伝説のロックバンド「クイーン」の軌跡を描いた大ヒット公開中の映画「ボヘミアン・ラプソディ」。クイーンのヴォーカル:フレディ・マーキュリーの華やかで破天荒な生活。天才的な音楽センス・歌唱力。誰も真似することができないファッション。ピッタリしたものからフリフリまで。才能があるが故に人が集まり、そこからの葛藤、孤独、激動の人生。彼自身の人柄・愛情・魅力が詰まった映画です。
この映画、驚異的な右肩上がり。観客動員数180万人。大音響で畳み掛けるように名曲が…地方でもライブの様に盛り上がり、付け髭持参でフレディになりきっています。
目次
ボヘミアン・ラプソディ
製作国:イギリス アメリカ 公 開:2018年 監 督:ブライアン・シンガー 出 演:ミラ・マレック ルーシー・ボイントン グウィリム・リー ベン・ハーディ
フレディがオペラをテーマとしたロック・アルバムを作ると提案し、メンバーと喧嘩をしつつも情熱を注いで完成した「オペラ座の夜」。 6分という長さの「ボヘミアン・ラプソディ」のシングルカットを「ラジオでかけてもらえない」とEMIから反対されるも、フレディ自らラジオに出演し独占放送。 マスコミに酷評されるが、ファンの心を掴み大ヒットする。 |
20世紀フォックス 映画「ボヘミアン・ラプソディ」予告CM
フレディ・マーキュリー
1946年9月5日、タンザニアで生まれる。両親はペルシャ系インド人で幼少期の大半をインドで暮らしました。
7歳の頃にピアノを習い始め、8歳で全寮制の英国式寄宿学校に通い、この頃からロックバンドの活動をし、ピアノとヴォーカルを担当。
17歳の時、ザンジバル革命を逃れ家族とイングランドへ。アイルワース工業高校で芸術を学び、イーリング・アートカレッジへ進学、芸術とグラフィックデザインを修了。やはり、アート系ですね。クイーンでこれらの技術を生かし衣装デザインをします。
バンド活動をしながら、ヒースロー空港で働いたり、古着屋の店員なども経験しています。
古着屋で一緒に働いていたメアリー・オースティンと同棲。1973年「クイーン」デビュー、その年のクリスマスにプロポーズ。婚約までしていたのにフレディの浮気が…。それも男性。本人自身、戸惑いがあるように思います。彼女とは別れてしまいますが、その後も友人関係が続きます。
メアリーと別れた後、夜な夜な派手なパーティーを開き遊び放題。男性も女性も愛せて才能もある。周りも放っておきませんね。
1983年、ジム・ハットンとバーで知り合い、お付き合い。穏やかな恋愛関係を築いていましたが、4年後、フレディがHIVに感染していることが分かります。
フレディの周りから人々が去っていく中、ジムだけがそばを離れず、最期を看取ったとのことです。
イギリスのケンザル・グリーン霊園で火葬され、その後埋葬された場所は、メアリーだけが知っている。
フレディ メアリー ジム 何か凡人にはわからない魂の繋がりでもあったのでしょうか。フレディを愛しつつも普通の幸せを求め、家庭を築き子供を産むメアリー。その光景を見るフレディ。ジムの大きな愛に包まれて亡くなりますが…。歴史に「たら」「れば」はありませんが、フレディがもっと長く生きていたら…。繊細な彼のことです。苦しんでいたかもしれないし、もっと幸せだったのか、それともこれで幸せだったのか。映画を観たそれぞれ皆さんが感じて頂けたらと思います。
フレディは日本贔屓でもありました。
ファッション
デビュー当時は長髪でひげもなく普通にかっこいい。でも、革ジャンになぜか赤い靴下にバレーシューズ⁉フレディ、乙女の部分なのでしょうか…。
ファンの間では伊勢海老と言われる赤い衣装、ダイヤのタイツ(白黒と赤タイプもあり)、素肌にサスペンダー、赤い縞のパンツ…半裸状態 勇気凛々さんサイト・フレディ七変化
Queen – I Want To Break Free (Official Video)
https://www.youtube.com/channel/UCiMhD4jzUqG-IgPzUmmytRQ
フレディが女装をしているビデオ。当時、アメリカで放送禁止になり、考えたのは他メンバーですが、フレディが変態と叩かれたそうです。かわいそう。なぜひげで女装?なぜその恰好?と笑わせたいようにしか思えませんが。。。
ゾロアスター教では同性愛については厳しいようで、フレディが最後まで公言しなかった一つの理由かも。
Freddie Mercury – Living On My Own (Official Video)
https://www.youtube.com/channel/UCxbkO0haK5H6zhsa_lRcn0A
フレディ39才のパーティー
エピソード
愛猫家
飼っていた猫の為に歌を作り、外出先で電話を掛け電話口に猫を出させたり…。一部屋
、一部屋与えるかわいがりよう。
故・ダイアナ元妃をゲイバーに連れて行った!?
1980年代後半、フレディは故・ダイアナ元妃をミリタリージャケットや革製の帽子、サングラスで変装させ、地元のゲイバーに連れて行った。バーには大勢の人がいたものの、彼女の正体に気づく人はいなかった。楽しいひとときを過ごしたダイアナ元妃はその後、タクシーでケンジントン宮殿へと戻っていったそうだ。
やる~、フレディ!段々とかわいく思えてくるのは、やはり彼の魅力なんでしょうか。
森公美子さん、フレディの歌声を絶賛
「フレディは前歯を治さなかった。アメリカ人に言わせると、歯並びが悪い人は絶対に認められない。お母さんやお父さんにもらった物だからかも知れないけど、歌声を飛ばすには、(歯が出ていると)フワーっと上まで上がれるから。後ろから声をウワーって持ってきて……神様に与えられたボイスを持っていた」
フレディの歌声を絶賛した森は、彼が日本人に愛された理由として「父がインド系とかそういうのを取り外して(日本人は)人間そのものを見てくれるから」と語る。クイーンの音楽は「日本人の心に届く歌詞や音楽だった」と熱弁した。
過剰歯で歯の裏にも歯があったんですね。
ゲイをカミングアウトした曲
「ボヘミアン・ラプソディ」曲・歌詞の真相について、作詞家のティム・ライスのコメントを紹介。
「フレディが自分はゲイだと認めたメッセージだ。『ママ、人を殺してしまったよ』という部分は、昔のフレディのイメージを自分自身で殺したという意味。異性愛者としての自分は死んだ。新しい本来の自分として生きていくという意味」
ゲイをカミングアウトした曲という捉え方もできることが明かされた。
1970年に結成され、1973年にアルバム『戦慄の王女』でデビューしたクイーン。惜しくもフレディは1991年に亡くなったが、その魂の歌声は、今でも人々を魅了し続けている。
告白・非業の最期
1991年11月23日、フレディはHIVに感染していることをファンに告白。衝撃的な発表に騒然とする中、翌日、HIVから併発した肺炎により非業の最期を遂げる。45才の若さだった。