11月24日(日)トークネットホール仙台・大ホールにてフジコ・ヘミング&イタリア管弦楽団のコンサートが行われます。
NHKのドキュメントで大反響が巻き起こり、映画や公演と多忙を極める中、動物や災害等の支援を行い、独特のファッション等その人間味あふれる人柄は多くのファンを魅了してやまない。
2019ジャパンツアー 感動のカンパネラ、フジコ・ヘミングの生演奏を是非。
引用:TBC東北放送
目次
概要
フジコ・ヘミング&イタリア管弦楽団
開催日 | 11月24日(日) |
時間 | 開場14:30 開演15:00 |
場所 |
トークネットホール仙台 大ホール (仙台市民会館) 仙台市青葉区桜ケ岡公園4-1 |
主催 | TBC東北放送 |
お問合せ |
ニュース・プロモーション TEL 022-266-7555 (平日 11:00~18:00) |
駐車場 |
有料 30台 30分毎100円
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出演
フジコ・ヘミング (ピアノ) Ingrid Fuzjko Hemming (piano)
トビアス・ゴスマン (指揮) Tobias Gossmann (conductor)
イタリア管弦楽団 Orchestra Internazionale d’Italia
チケット料金
全席指定 ¥10,000 税込み
※未就学児童入場不可
チケット販売
ローソンチケット (Lコード 23050)
チケットぴあ (Pコード 157-436)
藤崎 三越
いつから販売?
一般発売:2019年9月21日(土)10:00~
フジコ・ヘミング
本名 ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ
東京音楽学校(現・東京芸術大学)出身のピアニスト
ベルリン生まれ
父親:ロシア系スウェーデン人、画家・建築家 母親:日本人、ピアニスト
5歳の時、父帰国。以来母の手ひとつで東京に育ち、5歳から母、投網子の手ほどきでピアノを始める。
28歳でドイツへ留学。ベルリン音楽学校を優秀な成績で卒業。
国内外で活躍。猫や犬をはじめ動物愛護への関心も深く、災害・難民等の支援も行う。
フジコ・ヘミング ジャパンツアー2019
フジコ・ヘミング ジャパンツアー2019
映画「フジコ・ヘミングの時間」
監督 小松荘一良さんは、フジコ・ヘミングさんと年に1~2度お茶を飲む仲。パリ、京都、サンタモニカに家を持つフジコさんは、現役で世界中を演奏で飛び回る。だったら世界中追いかけようと2年にわたって撮られた。
フジコさん自身がおとぎ話の主人公のようで撮っていて面白かったと語る監督。オンとオフが変わらないところがチャーミング、ふっと話す言葉が「フジコ節」というか心に刺さる。
ファミリーヒストリー
ファミリーヒストリー「フジコ・ヘミング~母の執念 魂のピアニスト~」
母方、大月家は岡山に土地を持っており、専平(祖父)は印刷用黒インキで製造に成功。大月家は、裕福な家でピアノがありました。
母、投網子は幼い頃からピアノに触れることのできる環境にあり、大阪の学校でピアノを学び、東京音楽学校卒業。昭和2年、24歳の時ベルリンへ音楽留学、レオニード・クロイツァーに学ぶ。
父、ジョスタ・ゲオルギ・ヘミングは、幼い頃、母と妹とスウェーデンからドイツに移り住みました。映画会社の美術部に勤務し、ポスター等を手掛けるデザイナーでした。20歳の時に母の投網子と出会います。
ベルリンで結婚、フジコさんが生まれ、昭和7年7月、5年ぶりに帰国。
ジョスタは個展などを開くも仕事が思うように増えず、投網子は生活の為ピアノを教えすれ違うようになる。戦争の影響で外国人も厳しく監視され、昭和13年ジョスタ、スウェーデンに帰国。日本に帰ることはなかったが、死ぬまで日本の子どもたちのことを話していたという(妹・エヴァさん談)
母の教え方はスパルタだった。連日厳しいレッスンを受ける。
青山学院緑岡小学校へ入学。
小学校5年の時、母は娘の才能を伸ばそうとレオニード・クロイツァーに頼みレッスンを受けさせる。
実家が空襲で焼失、生活はますます苦しくなった。
16歳、中耳炎をこじらせ右耳の張力を失った。
いつしか母と同じドイツに留学したいと思うようになった。ドイツへの手続きをしようとしたところ無国籍者となっていたことが判明。
昭和36年、フジコさん29歳でドイツへ留学。
昭和44年、ウィーンでピアノリサイタルを開くことになったが、直前に高熱を出し全く耳が聞こえなくなりキャンセル。
失意の中、スウェーデンに渡り父に再会、そして左耳を回復するための治療をした。
平成5年、母(90歳)死去 最後まで娘の才能を信じ成功することを祈っていました。
母の死から2年後の平成7年、生活の拠点を日本に移す。
その3年後、自宅近くの教会で冊子を見る
「遅くなっても、待っておれ それは必ず来る」
その1週間後NHKが演奏会下見に来た。NHKでドキュメンタリーが放送され大変な反響を呼ぶ。
60代でブレイク、「遅咲きのピアニスト」「魂のピアニスト」と言われ、80代になった今でも立ち見が出るほど人気で人々へ感動を与える。
フジコ「私は、すごい母を尊敬していたし、好きだったけど、反面 すごい嫌だった。一緒に暮らせる代物じゃなかった。」
と語る。
子供の頃、母が遅く帰宅してピアノを弾く音が大好きだった。
フジコ「ああ 美しいと思った。ショパンのノクターン(夜想曲)なんかをゆったりした曲を弾いてて、ああ、なんていいんだと思ったですね。」
とも話す。
お母様も娘に愛情を注ぎ(激しいものではあったけれど)、フジコさんも母が好き。あのフジコさんが奏でる優しく美しい音色はお母様が原点のように思いました。フジコさんもおっしゃってましたが、今の姿を母に見てほしかったと。本当に見せたかったです。
行ってきました
11月24日(日)、あいにくの小雨。
ちょうどこの日は実業団女子駅伝をしていて定禅寺通りは片車線通行止めで選手の走る姿を見ることができました。そのため、バス運休で乗れず。。。
トークネットホール仙台(仙台市民会館)開場14:30前、もうたくさんの人が並んでいる。会場内に入ってトイレに行くと、トイレも人が並んでるー(-_-;)
スタッフから「まもなく開演しますので、トイレは早めにすませてくださ~い!」と。すると「トイレの数が足りない。」と不満の声が…うん、うん、その通り。
ステージは花もなくてなんか殺風景。誰か花粉がダメな人がいるのかな…
***** 15:00 開演 *****
イタリア管弦楽団入場、指揮:トビアス・ゴスマン氏入場
モーツアルト:序曲「フィガロの結婚」
ピアノが右前に設置され
フジコさん登場(介添えがあって、あれ…心配)
衣装は黒い着物をアレンジした感じのもの。手のブレスレットがキラキラ輝いていました。素敵。
モーツアルト:ピアノ協奏曲
フジコさん「ちょっと腰を痛めています。ラ・カンパネラ聴いてください。」と挨拶し、独奏。
リスト:ラ・カンパネラ…他
力強い演奏。豊かな表現力。
素晴らしい演奏で初めからうるうるしてしまいました。
そして、フジコさんは、会場に手を振って退場。チャーミング♡
その後は、イタリア管弦楽団による演奏。
演奏終了で拍手をしていると何度も出てくるトビアス・ゴスマンさん。何度も出てくるので、面白い。
アンコールは「ふるさと」日本の曲を弾いてくれましたよ。
以前仙台で演奏を聴いた人の話しでは、客席にサンタのような弟さんがいて、フジコさんが演奏すると「ブラボー!(太い声でものまね)」と立ち上がり手を叩いていた、グッズ販売の手伝いもしていたとか。
今回はいらっしゃっていませんでした。弟さん、見たかったなぁ。残念。グッズ販売もオリジナルCDくらいで、もっと販売してほしいわぁ~。配られたチラシを見るとフジコさんのLINEスタンプがあって絵がかわいい。
カンパネラ
『ラ・カンパネラ』(La Campanella)は、フランツ・リストのピアノ曲。ニコロ・パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章のロンド『ラ・カンパネラ』の主題を編曲して書かれた。名前の Campanella は、イタリア語で「鐘」という意味である。
リストが「ラ・カンパネラ」を扱った作品は4曲存在する。
その中の『パガニーニによる大練習曲』第3番が有名。
引用:Wikipedia
●パガニーニによる大練習曲
1851年に作曲された、最も有名な版。『パガニーニによる超絶技巧練習曲』を改訂した『パガニーニによる大練習曲』の第3曲にあたり、異名同音の嬰ト短調で書かれている。今日「ラ・カンパネッラ」として演奏されるほぼ全てがこの作品となる。
リストは曲全体の構成を洗練し、ピアノの高音による鐘の音色を全面に押し出した。 全体として、器用さ、大きい跳躍における正確さ、弱い指の機敏さを鍛える練習曲として使うことができる。最大で15度の跳躍があり、この跳躍を16分音符で演奏した後に演奏者に手を移動する時間を与える休止がないまま2オクターブ上で同じ音符が演奏される。ほかにも薬指と小指のトリルなどの難しい技巧を含む。
引用:Wikipedia
アクセス
🚋
地下鉄南北線「勾当台公園」駅下車 「公園2」出口から、徒歩約10分
地下鉄東西線「大町西公園」駅下車 「西1」出口から、徒歩約10分
🚌
仙台市営バス 「定禅寺通市役所前経由 交通局東北大学病院前」行き
「市民会館前」 下車すぐ (JR仙台駅前 60番乗り場より、約15分)
🚙
東北自動車道「仙台宮城IC」より 約10分