パナソニック汐留美術館で「ギュスターヴ・モロー展~サロメと宿命の女たち~」開催中。
パリにあるギュスターヴ・モロー美術館(モローの遺言により自宅を美術館にした)の協力によりいい作品がたくさん来ています。
モローは、19世紀の象徴主義の画家で教師としても有名。画家モロー、作品の魅力に逼ります。
目次
概要
ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち
開催日 | 4月6日(土)~6月23日(土) |
時間 |
10:00~18:00 入場は17:30まで 6月7日は20:00まで 入場は19:30まで |
場所 |
パナソニック汐留美術館 〒105-8301 東京都港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル4階 |
休館日 | 水曜日 (但し6月5日、12日、19日は開館) |
主催 | パナソニック汐留美術館 NHK NHKプロモーション 読売新聞 |
お問合せ | ハローダイヤル 03-5777-8600 |
ファム・ファタル(運命の女)
入館料
入館料
当日 | 団体 | |
一般 | 1,000円 | 900円 |
65歳以上 | 900円 | 800円 |
大学生 | 700円 | 600円 |
中・高校生 | 500円 | 400円 |
小学生以下 | 無料 | 無料 |
団体は20名以上
障害手帳提示の方、及び付き添いの方1名まで無料
館内
ルオー ギャラリーがあり、パリのギュスターヴ・モロー美術館 初代館長のルオーの作品も観ることが出来ます。
展覧会
第一章 モローが愛した女たち
●母ポーリーヌ
モロー自身「母と言うものはこの世で最も大切な存在」書き残しています。父が亡くなって以来20年以上母と2人暮らしでモローは母の絵を多く描いています。
1884年、生涯愛した母が他界。モローは絵筆を執れなくなります。
それを見かねた友人ベルシェールが、モローをパリから離し、自分の故郷エタンプに招待し、街をスケッチして回ります。
●アレクサンドリーヌ・デュルー
33歳の頃に知り合い「魂の妹」と呼び親密な交際を続けます。
パリにあるギュスターヴ・モロー美術館2階の部屋には、「レダと白鳥」他アレクサンドリーヌに贈った品々があります。彼女を住まわせた家もありました。それを見るとどれだけ彼女を愛していたか。結婚はしませんでしたが、お互い伴侶として認めあっていました。
1890年、モロー64歳の時、アレクサンドリーヌが54歳で亡くなります。
「パルクと死の天使」
アレクサンドリーヌが亡くなった直後に描かれたと言われている作品。恋人を失ったモローの悲しみがわかります。
第2章 「出現」とサロメ
聖書に出てくるサロメは、ヘロデ王の兄ピリポとヘロデア(後にヘロデ王の妃)の娘。兄の妃を奪うというのはよくないと言ったのが洗礼者聖ヨハネ。ヨハネは捕らえられるも人気があったのですぐには処刑できない。サロメは、ヘロデ王の前で踊りを舞うと王から「大変見事な踊りだ。褒美に何でもとらす。」と。すると母が「ヨハネの首が欲しいと言いなさい。」とそそのかす。ヨハネは斬首され、お盆(皿)に首が乗せられる。
突如として現れる「出現」は、聖ヨハネの首が浮かんでいるモロー独自の発想のサロメ。今までの「踊り」「斬首」「お盆に首が乗る」の時系列ではない、今までにないサロメは、多くの芸術家に影響を与えた。
サロメのデッサンや画面・色彩構成、衣装を見るために描き起こした下絵も多く展示されています。
第3章 宿命の女たち
「エウロペの誘拐」
ヨーロッパの語源となっているエウロペ。テュロスの王女エウロペに一目ぼれしたゼウスは、白い牡牛に姿を変えエウロペを誘拐する。海を渡ってクレータ島へと連れ去った。白い牡牛の首をゼウスにしたところに当時酷評を受ける。
古代ローマ最強の悪女 「メッサリーナ」(古代ローマ皇帝クラウディウスの妃)
古代ローマでは今の常識では考えられない人々が登場します。その帝国の大きさからなのか何なのか…。その中でもメッサリーナは最強の悪女。自分を不快にさせたものを処刑させたり、売春宿で一晩中交わり続けたり、元老院議員と結託してクラウディウス帝の殺害までしようとする。そんな文章が残っているということも古代ローマすごいです。
「セイレーン」 詩人・ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」に登場する半人半獣。まさに幻想の世界です。
色彩豊かな水彩画が展示されています。
第4章 一角獣と純潔の乙女
一角獣は純潔の乙女としか触れ合うことができません。心を通い合わせるように見つめる一角獣と乙女。色を塗った後に線を描き込み装飾性の高い作品になっています。
ギュスターヴ・モロー
「手に触れるもの目に見えるものは信じない。
目に見えないものただ感じるものだけを信じている。」
とモローは語っています。
ギュスターヴ・モローは、フランスの象徴主義の画家です。神話や聖書の世界を多く描き幻想的な作風。
1826年4月6日、パリの裕福な家庭に生まれます。
14歳の時に可愛がっていた妹を亡くし、引きこもっていたが、これではいけないと両親がイタリア旅行に連れていく。
絵が好きだったモローは20歳の頃、エコール・デ・ボザール(官立美術学校)に入学。デッサンばかりの画一的な授業に失望し、デッサン中心の授業を確立した「アングル」の銅像に“間違っている”とつぶやいていたそうです。ローマ賞(ローマへの国費留学を決める)のコンクールに2度挑戦するも惜しいところで落選。
色彩を重視し保守派から批判されていたドラクロワに相談「教師連中は何も知らないよ」という巨匠の言葉に退学を決意。
デッサンと色彩の調和を目指していたシャセリオ―のアトリエに通い、ロマン派の画家から影響を受ける。
1857~59年、モロー31歳、イタリア留学~ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア他~ 人体のデッサンや巨匠たちの絵を貪欲に模写し学びます。この時、多くの芸術家と交流、人付き合いが苦手だったドガとも知り合い、ドガはモローを兄の様に慕った。
1864年「オイディプスとスフィンクス」
1865年「オルフェウス(オルフェウスの首を抱くトラキアの娘)」独自の画風を確立した傑作です。
1868年「鎖につながれたプロメテウス」この自信作で酷評を浴び、アトリエに引きこもるようになり、公的な展覧会に出品することもなくなりました。
1870年普仏戦争勃発。44歳のモローも出兵しますが、リュウマチの発作により退官。
1876年、7年の沈黙を破り「出現」を発表。絶賛される。モロー50歳頃。
1884年、最愛の母が他界。
1885年「一角獣」
1888年「パリの隠者」と呼ばれていたモローは、60を過ぎてから国立美術学校の先生になる。自分の考えを押し付けるのではなく生徒の個性を生かし、モロー教室からはマティス ルオーといった巨匠が生まれる。
1890年 アレクサンドリーヌ他界。
1895年「ユピテルとセメレー」
1896年「求婚者たち」
晩年、モローが多く描いた抽象的な絵は、生徒たちの画風を真似しています。
1898年4月18日、モロー72歳、胃がんのため亡くなります。
作品がバラバラになると価値を失うと考えたモローは、晩年過ごした家を美術館に改装。作品を一ヶ所に集め国に寄付します。展示物の位置、初代館長のルオーはモロ-の遺言通り。
いかがでしょうか。ギュスターヴ・モローという画家。挫折を味わうと引きこもり、大切な人を失うと筆を執れないほど落ち込み、絶望し、その度に手を差し伸べる家族や友人がいて、苦しみながらも学び続け新しものを取り入れ自分の画風を確立していく。19世紀の退廃的な時代に傷つきながらも美しい作品を生み出していくのは、彼の心が、幻想の世界が汚れてはいかなかったということでしょうか。とても人間らしくその才能には魅力があります。
サロメは、50点以上の作品を残しました。
水彩画の色鮮やかな宝石が散りばめられたサロメ、アレクサンドリーヌを失った後に描かれた「ケンタウロスに運ばれる死せる詩人」「妖精とグリフォン」もおすすめですので機会があれば是非観て頂きたいと思います。
ミュージアムショップ
オリジナルグッズ、展覧会図録をはじめ、各展覧会に合わせた関連書籍やグッズ等も販売されています。
イベント
汐留実術館オリジナル ブックマークプレゼント
6月6日(木)、先着250名に、モローの生誕日4月6日にちなんで、パナソニック汐留美術館オリジナルブックマークのプレゼントがあります。
フライデー・ナイト@パナソニック汐留美術館
6月7日の金曜日は午後8時まで開館(ご入館は午後7時30分まで)
フライデー・ナイト特典
- 対象
- 2019年6月7日
午後6時~7時30分までに、ご入館のお客様- 特典内容
- 入館チケット半券の裏面に汐留美術館オリジナルスタンプと、ご入館いただいた日付印を押します。
スタンプ付チケットを持って、下記のお店にご来店いただくと素敵なプレゼントがもらえます。
有効期限はギュスターヴ・モロー展会期中の2019年6月23日(日)まで。●BEER DINING 銀座ライオン 汐留店
お一人様1杯、ミニブーツグラスにて生ビールをプレゼント (チケット1枚に対し8名様まで)
●よかたい 汐留シティセンター店
午後5時以降にご来店のお客様にソフトドリンクをプレゼント(チケット1枚に対し1杯)
※詳しくはこちら パナソニック汐留美術館HPで確認してください。
アクセス
JR新橋駅「烏森口」「汐留口」「銀座口」より徒歩約8分
東京メトロ銀座線新橋駅「2番出口」より徒歩約6分
都営浅草線新橋駅改札より徒歩約6分
都営大江戸線汐留駅「3・4番出口」より徒歩約5分
ゆりかもめ新橋駅より徒歩約6分