令和元年5月8日午前、天皇陛下は、「即位礼正殿の儀」と「大嘗祭」の期日を天照大神に報告する「賢所に期日奉告の儀」に臨まれました。
また、午後には、皇居・宮殿「竹の間」で「即位礼」と「大嘗祭(だいじょうさい)」の期日を伊勢神宮などに報告する使者を派遣する儀式が行われました。
皇居前には多くの人が訪れました。
期日奉告の儀
陛下は、即位後初めての宮中祭祀のため、皇居・正門に到着された。
そして午前10時半、天皇のみが着用する「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」と呼ばれる特別な装束姿の陛下が、「賢所に期日奉告の儀」に臨まれた。
陛下は、皇位のしるしである剣と勾玉(まがたま)を携え、皇居内の賢所の回廊をゆっくりと進み、秋に行われる皇位継承にともなう重要な儀式である「即位礼正殿の儀」と「大嘗祭」の期日を、天照大神に報告された。
皇嗣の秋篠宮ご夫妻や安倍晋三首相らが参列しました。
皇后雅子さま宮中三殿参拝
続いて皇后雅子さまも髪を伝統的な「おすべらかし」に結い上げ、五衣(いつつぎぬ)の上に萌葱(もえぎ)色の小袿(こうちぎ)という装束姿で参拝された。皇后さまは、賢所に入る際、深く頭を下げ、皇霊殿と神殿にも参拝された。
皇后さまが宮中三殿全てに参拝されるのは、病気療養に入る前の2002年以来、17年ぶりとなった。
勅使発遣の儀
5月8日午後
皇居・宮殿「竹の間」
天皇陛下は、白い装束の姿で「即位礼」と「大嘗祭(だいじょうさい)」の期日を伊勢神宮などに報告する使者を派遣する儀式に臨まれた。
8日午後1時すぎ、天皇陛下は「勅使発遣の儀」に臨むため、半蔵門から皇居に入られた。「勅使発遣の儀」は、「即位礼」と「大嘗祭」の期日を、伊勢神宮や神武天皇陵、昭和天皇からさかのぼって4代の天皇陵に報告するため、使者を派遣する儀式。天皇陛下は、即位した年のみ着用する「御引直衣(のうし)」を身にまとい、陛下から託された「御祭文」を宮内庁長官が勅使に手渡した。
勅使は10日、伊勢神宮や天皇陵で期日を報告し、陛下からの奉納品を供える。
御引直衣
御引直衣(おひきのうし)は天皇の召されるもの、御直衣の裾を引かれるのでこの名がある。御即位礼の時、神宮、神武天皇山陵前帝4代の山陵に対する勅使発遺の儀に御召しになる。
神武天皇山陵
畝傍山(うねびやま)の北東の麓、橿原神宮に北接する神武天皇陵は、円丘で周囲は約100m、高さ5.5mの広い植え込みがあり、幅約16mの周濠をめぐらせています。
日本書紀、古事記によると、初代天皇とされる神武天皇(在位:前660年~前585年)は日向(宮崎)地方から、瀬戸内海を東に進んで難波(大阪)に上陸しましたが、生駒の豪族に阻まれたため、南下して熊野に回りました。そこで出会った3本足の「八咫烏」(やたがらす)というカラスに導かれて、吉野の険しい山を越えて大和に入り、周辺の勢力も従えて、大和地方を平定しました。そして、紀元前660年の1月1日(新暦2月11日)に橿原宮で即位し、初代の天皇になりました。
ネットでは
日本はこういう文化があるんだなぁと再認識しました。陛下もきりっとされて凛々しく思います。いろいろな意見もありますがこういう儀式も大切に思えるので税金の無駄使いとは感じないのですが。
引用:コメント
内廷費は多額に見えるかもしれませんが、経費がかかり見舞金にも使われ手元に残る金額は多くないそうです。
美しい装束です。
拝見するだけで背筋が伸びるような気がします。
伊勢神宮の初めて御参りした時、神様はほんとうにいらっしゃるのだと感じました。
陛下は紛れもなくあの世界に属し、私達にそれを教えてくださる。
これらの儀式は、ただ貴重な歴史、貴重な文化というだけでなく、日本人の拠り所なのだと思います。引用:コメント
このような歴史・文化を持つ日本人のアイデンティティの一つですね。
衣装・着物の美しさは、日本が世界に誇れる文化だと思います。
今上天皇の祈りは凄いと聞きます。自然災害等がおこると何もできない…人の無力さを感じることがあります。ただただ、祈ることしかできない場面に直面することも多々ありますが、陛下はこの国の平和ために祈ってくれることでしょう。