なんてこと…ノートルダム大聖堂炎上 原因は? 14時間後、消し止める
ノートルダム大聖堂炎上 衝撃の映像が…
なぜこんなことに?
目次
ノートルダム大聖堂大火災
激しい炎と煙に包まれた、ノートルダム大聖堂。
火災発生からおよそ1時間後には、塔が崩れ落ちた。
原因は?
最初に火災が確認されたのは現地4月15日、午後6時50分頃 閉館間もなく
火の手は、最も高い塔の奥にある屋根から上がったとみられる。
現場に駆け付けた消防隊による放水作業。
石づくりなのになぜ?
石づくりなのになぜ?
普通に考えてそう思われるかもしれない。
ネットでもそのような声が多くありました。
屋根部分に骨組みの木材1300本。屋根裏張り巡らされている構造になっています。
ここだけではなく、他のヨーロッパの石づくり建設物は重さの軽減等の先人の知恵や工夫で木材が使われているのを見かけます。巨大建築物であるが故。
木材が多く使われていたこと、巨大な建物だったことも消火活動を難しくさせました。
火元は、改修工事現場付近か?
13世紀に完成したノートルダム大聖堂は、美しいステンドグラスや石像など、多くの収蔵品もあり、このエリア一帯がユネスコの世界文化遺産に登録されている。
そのノートルダム大聖堂では、2018年から大規模な改修工事が行われていた。
火災の原因は、改修作業が行われていた場所付近での失火とみられているが、くわしくはわかっていない。
パリの検察当局は失火の疑いで捜査を始めています。
フランスメディア 追記
フランスメディアによりますと修復工事の現場は禁煙にもかかわらず作業員が時々喫煙をしていたということです。
修復の請負会社は「たばこが火災の原因ではない」と主張。
フランスメディア
警察が現場から7本の吸い殻を発見。
また、防火対策としては、2人の警備員を24時間体制で配置するところを実際は警備員1人で、勤務も夜11時までだったということです。
警報から出火の確認まで時間がかかり、フランスメディアは人為的ミスだったと訴えています。
14時間後、鎮火
消防士約400人が消火作業が作業にあたりました。
市民、祈りの讃美歌合唱。
高さ約90メートルの尖塔(せんとう)が焼け落ちたものの、大聖堂を象徴する南北の塔は崩落を免れ、バラ窓のステンドグラスも無事とのことです。
火災後
火災のあとの大聖堂の内部を撮影した写真。
床からは依然として煙が立ちのぼっているものの、十字架は無事のよう。
パリ市長は、宗教芸術などの「多数の美術品は運び出されて無事だ」と話す。
大聖堂の屋根の3分の2は焼失。
消火作業中に3人が重軽傷。
住民や観光客にけが人はないとのこと。
世界に衝撃
マクロン大統領からは最悪は免れたと。バチカンやユネスコからも悲しみの声が。
●フランスのマクロン大統領
「事態は完全に収束していませんが、最悪は免れました」
「消防士の勇気によって、大聖堂の正面部分やほかの重要な部分は守られた」
●バチカンローマ法王庁
「世界とフランスのキリスト教の象徴が失われ、衝撃を受け、悲しんでいる」
●ユネスコ アズレ事務局長
「ユネスコは貴重な世界遺産の保護、再建に向けフランスと共にある」
パリ市民、フランス人もあの光景をどんなに心を痛めて見ていたことか。
また、あの美しい姿をパリに再建しましょう!
ノートルダム大聖堂
パリのノートルダム大聖堂 はゴシック建築を代表する建物であり、フランス、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂。「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録された。
ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」という意味。聖母マリア様を指しています。
パリを流れるセーヌ川のシテ島にあり、1163年司教モーリス・ド・シュリーによって着工され、1225年に完成しました。
全長127.50m 初期ゴシック建築の傑作(一部ロマネスク様式)
バラ窓のステンドグラスも美しく、ガーゴイルも芸術的。