中村医師 おかえりなさい

異国で井戸掘る医師

アフガニスタンで中村医師が銃撃との報道で

どうして?なぜ?なんて、ひどい。。。

日本中が悲しんでいます。

 

中村医師の遺体が帰国

 

引用:ANN

 

中村医師はアフガニスタン東部のナンガルハル州で4日に何者かに銃撃され、中村医師を含む6人が殺害されました。

8日夕方、日本に到着。

飛行機から中村医師のひつぎが降ろされ、ひつぎの上には花束が手向けられていました。

葬儀は11日、福岡市で営まれます。

 

 

12月4日は、撃たれて手術と報道

 

現地当局によると、アフガニスタン東部のナンガルハル州で4日、中村哲さんを乗せた車が何者かに銃撃された。中村さんはケガをしたが容体は安定しているという。ただ、運転手など5人が死亡した。

ペシャワール会によると、中村さんは河川工事の現場に向かう途中で襲われたという。

ペシャワール会の会見「中村は右胸に銃弾を1発受けた。受けた直後は意識はあった。その後、ジャララバードの病院に移送され、そこで手術を受けている」

引用:NNN

 

工事現場に向かう時はルートを変えるなど警戒はしていたとのことです。

車を止めさせて襲撃したそうなので狙っての犯行。

専門家は、国の機関とも関係があることで誤解をしたのではとの予想も。そうだったら、あまりにも愚か、怒りに震えます。他国の患者を救い、農業支援までする医師。あと、20年は続けたいと言っていたそうです。

 

 

ガニ大統領自らひつぎを運ぶ

 

日本時間7日夜、中村さんの遺体をおさめたひつぎがカブールの空港に到着すると、兵士らとともにガニ大統領自らがひつぎを運び、哀悼の意を示した。

追悼式でガニ大統領は、中村さんの妻・尚子さんと長女の秋子さんを前に「中村さんはアフガニスタンにとって英雄だ」と話し、長年の功績をたたえた。その上で、事件の全容解明に全力を尽くす考えを示した。

中村さんが取り組んできた農業支援事業については、「ドクター・ナカムラ」の名をつけ継続していくという。

引用:NNN

 

 

医師 中村哲氏

 

引用:NNN

 

中村哲・プロフィール

1946年9月15日生まれ 73歳

福岡出身

プロテスタント系クリスチャン

日本の医師

九州大学医学部を卒業し、国内病院勤務、1984年、パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任。

ペシャワール会現地代表、ピース・ジャパン・メディカル・サービス(PMS)総院長。

趣味は登山と昆虫採集。

 

●人物

アフガニスタンでの活動について、「向こうに行って、9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ。」と語り、憲法9条の堅持を主張した。

引用:Wikipedia

 

 

ネットでは

 

ネットでは、「ご冥福をお祈りいたします。」「志半ばで無念だったでしょう。」等数多くの故人を悼む声が寄せられています。

 

良く帰ってこられました。
非常に無念でなりません。
何故人を助けて国を救ってきた人が犠牲にならないといけないのか憤りを感じます。
日本でゆっくり休んで下さいね。
本当にお疲れ様でした…

コメントより引用

 

 

 

 

 

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